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- 一宮荘(中世)とは
「一宮荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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一宮荘(中世) 鎌倉期~戦国期に見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一宮荘(中世) 鎌倉期~室町期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一宮荘(中世) 室町期~織豊期に見える荘名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一宮荘(中世) 南北朝期~戦国期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一宮荘(中世) 南北朝期から見える荘園名遠江【とおとうみ】国周智【すち】郡のうち太田川流域に位置する建武3年2月5日の少弐貞経譲状案(筑紫古文書追加/大日料6-3)に,「譲与 次郎資経……遠江国一宮太田郷内一藤名地頭職」とあるのが初見少弐貞経が子息資経に当荘太田郷内の一藤名地頭職を譲与しているついで,正平7年正月16日の少弐宗祥亡父本領注文案(筑紫古文書追加/大日料6-16)にも,当荘が少弐氏の所領として見え,同日付の足利尊氏御判御教書案(同前)は,当荘を宗祥に安堵するよう足利義詮に命じている永享4年12月2日には,当荘の代官職をめぐって武藤用定と前代官大谷玄本が訴訟を行っている(御前落居記録/室町幕府引付史料集成)なお,蔵泉寺所蔵大般若経の至徳4年8月22日付奥書(蔵泉寺文書/県史料4)に,「遠州一宮庄内蓮華寺・安養寺三位安闍梨書写」とあり,また天文12年9月6日の今川義元判物(天宮神社文書/県史料4)には,「遠江国一宮庄之内,金胎両部之一社天宮事」とあり,荘内に蓮華寺・安養寺・天宮などの寺社があったことが知られるところで,当荘の荘名は遠江国一宮の所在地であったことに由来すると思われるが,現在の小国神社が一宮であったといわれるなお,戦国期のものと推定される年月日未詳の旦那場配分注文写(米良文書/熊野那智3)にも,伊与卿引旦那の一所に一宮が見える荘域は,現在の森町大字森・天宮・城下・向天方【むかいあまがた】・橘・一宮・草ケ谷・円田・谷中・中川・牛飼を含む一帯に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一宮荘(中世) 室町期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」